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    ドラムサークルの父、アーサー・ハル氏が日本フレームドラム協会のインタビューに応じ、 ドラムサークルについて、フレームドラムについて熱く語ってくださいました。
    フレームドラムの今後、ドラムサークルでの使用法など、ファシリテーター志望者は必読!

    インタビュー・翻訳/速水葉子



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    速水(以下H): 本日は、インタビューの機会をいただいて、ありがとうございます。

    お聞きしたいことは大きく三つあります。
    ひとつめは、おそらくもうお答えになるのが、飽きてしまわれたかもしれない質問ですが、ドラムサークルの起源です。
    そして次にアーサーさんがいま行っている近代的なドラムサークルとはどんなものか、
    最後にドラムサークルおけるフレームドラムの効用、価値についてお聞きしたいと思います。

    <ドラムサークルの起源>

    アーサー(以下A): 世界のドラムサークルの起源はおそらく記録に残っている音楽の歴史以前にさかのぼると思います。
    人は、太古から集まってなんらかのかたちでリズム的なスピリットを分ち合っていたに違いありません。
    例えば、丸太をたたくとか、自分のお腹をたたくとか、歌をうたうとか、さらにそこにダンスが加わったりといった具合に。アフリカの初期の洞窟の原始人の時代からです。 ドラムサークルの起源はいま目にすることはできなくても、その結果は目にすることができます。
    私がつくった造語ですが「リズマカルチャー」というリズムと文化が一体になって生活のすみずみにいきわたった文化の中ではそれが息づいています
    。 リズマカルチャーでは、収穫、種まき、逢い引き、受胎、誕生、死、など人生の各場面をリズムを使って祝うのです、そしてそうした活動や行為を儀式化したのです。
    それは世界のどこでもみられます。たとえば[日本の]太鼓もドラムサークルです。
    これは、伝統的な太鼓の演奏として形式が整えられ、太鼓の演奏を見て楽しむ形になりました。でも日本の太鼓の初期の活動が、エンターテーメント、つまり人が見て楽しむものではなく、円陣をつくって太鼓を叩く人自身のための行為であったとしても驚くにはあたりません。
    長い時間をかけて、徐々に儀式化され、歴史化され、意味と構造をもったリズムと歌をともなって、世代から世代にうけつがれていったのです。
    ですから、ドラムサークルの起源には奥深い過去があります。
    西アフリカや多くの異なる文化においては, 完全に儀式の一部になった、完全に歌やダンスの一部となっているドラムの叩き方があります。
    歌やダンスといっしょに演奏されるリズム、ダンスに合うリズム、リズムに合うダンス、これは、卵が先か、鳥が先かのような話しで、どちらが先かということはいえませんが。

    ですから、多くの文化において、いわゆるドラムサークルだけでなく、踊りや歌などの違う要素が加わったものが基盤になっていたのです。こうしたことがドラムサークルの伝統的な面ですね。

    <ユニバーサルリズムについて>

    多くのカリブ海地域の文化はアフリカからきています。
    アフリカには何世代にもわたって伝えられてきたリズムの伝統がある一方で、そうしたリズムがアフリカ以外の地域へと、また異なった組み合わせで伝播していきました。 カリブ諸国では、それらがあらたにエネルギーを与えられ、再構築されたのです。

    様々な文化の部分が混じり合い、その島のリズマカルチャーの基盤となったのです。
    そのいい例がハイチのドラムです。ハイチのドラムはコンゴ、セネガル、ナイジェリア、さらにフランスの植民地であったことからフランスの強い影響もうけています。
    ですから、アフロキューバンのルンバは様々なアフリカ文化とその島にもともとあった原住民の音楽--―アメリカンインデアンですね、----とが混じり合って生まれたのです。
    さらに、スペイン人の影響もありますね。スペイン人はハイチを植民地化して、現地人をかいならし、そこに自分たちの奴隷であった西アフリカ、南アフリカ、中央アフリカなどからの様々なアフリカ人を連れてきましたから。
    そこで、アフロキューバンが生まれたのです。これが、伝統的な音楽の道筋でした。
    ですがすべてのリズマカルチャーのアンサンブルに働いている特定の原則が存在します。それがユニバーサルリズムです。私は、こうしたユニバーサルな要素を深く研究しました。

    たとえば、バリのガムランのグループにおいては、---ガムランはほとんどが金属の鉄筋のような楽器とゴングで構成されているのですが---ドラマーはひとりです。
    ガムランのグループはどの村にもあり、何世代にもわたってその村独自のリズムと楽器が継承されています。そして、通常ドラマーがひとり、ダンサーがひとりです。
    ひとつの曲におもだったダンスが一種類あるだけです。そして、そこでのすべてにはたらく原則は、ダンサーとドラマーとの間の相互のかけあい、つまり対話です。

    ベトナムのとある先住民は5つのひとそろいのゴングを演奏します。
    マレットを使わずに、片腕でゴングをかかえて、もう一方の手でゴングの反対側をげんこつでたたくのです。それで、ゴングにミュートをきかせることができるんです。
    あるいは、片手でささえてもう一方の指の先でゴングに触れたり、片手のひらをつかってゴングをささえ、反対側でミュートをきかせたまま演奏をつづけたり…。これには、私もぶっとびました!

    私が聞いた曲は、とてもシンプルなものでチューニングした五つのゴングを5人の演奏者がそれぞれたたくものでした。
    そして最後にふたつのリズムのパートをお互いにかけ合いで演奏するのですが、そこではなんとアフリカのコンゴのリズムとまったく同じふたつのパターンがたたかれていました。
    「似たような」というようなものではなく、実際にコンゴ人から私が習ったパートそのものでした。実際には、高さをかえたゴングの演奏者2?3名が同じひとつのリズムパターンをたたいていました。ベトナムの先住民がげんこつでたたくゴングを聞いていて、私が確かに知っているコンゴのふたつのリズムを彼らは再生しているのが分かったのです。これがユニバーサルリズムです。

    <現代のドラムサークルとは>

    最初の現代的なドラムサークルは、1967年の「サマーオブラブ」の期間中、サンフランシスコでヒッピーの連中(私もそのひとりでした)が集まって、行ったものでした。
    あるいは、アメリカやヨーロッパの[キリスト教ではない]異教徒の集団が集まり、自由なスタイルでドラムを叩いたものが始まりです。
    初期のころには、ヒッピーサンダードラマーと呼ばれていました。ヒッピーたちは、自分たちが何をしているのか分かっておらず、それが雷のかたまりみたいに聞こえたからでした。
    実のところ、彼らはごく基本的なリズムの演奏の模索をしていたのです。そしてその実験を行うのに自分たちが手にできる範囲のものは何でも利用していました。
    あるときは、アメリカ以外の特定文化のドラムのリズムをたたいてみたり、またあるときには、ゴミ箱とスティックだけの組み合わせや、そのへんにある音の出そうなものを利用して音を出してみたり・・・というやり方でした。
    たまに、そこで作り出す音がお互いをつなぐ魔法の域に達することがあったのです。いっしょに演奏する人たちがつながってハーモニーをつくり出すことが。演奏する人どうしがつながり合うのです。
    それができたときの素晴らしさは打ち消しがたいものでした。演奏者それぞれが一匹のタコの触手として自分のパートをたたいているようなかんじです。
    もとの愚かしい、よくわけもわからず知識もなくたたく実験の混乱にもどってしまうまでその状態が3−4分、運が良ければ5分間ほど続くことがありました。
    私たちは、スピリットを共有しているのに、お互いどういうふうに聞き合えばいいのかも、異なるピッチ[高さ]のドラムの利用の仕方も、互いに反応し合って対話をつくることも知らなかったのです。
    参加者の半数はドラムの叩き方もろくに知らない連中でした。ただ手でものをたたいているようなものでした。
    最初のころは、私もドラムの特性を知らず、野生の山羊もうらやむほどのすごい指ダコをよくつくっていました。自分を傷つけないドラムの叩き方を知らなかったのです。

    特定文化の伝統的なリズムを学んでいる人たちは、ヒッピーたちを、伝統に敬意を払わないクレージーなやつらだとみていました。
    一方ヒッピーたちは、伝統的なドラムサークルを檻の中にとじこめられた野生の馬だとみていました。ヒッピーたちは、決まり事なしに、リズムのスピリットを実験していたのです。
    ただ彼らは、それを意識もしておらず、無知から、あるいは、故意に、人が集まっていっしょに音楽をつくって叩き合う際の基礎的な知識を無視していたのです。
    つまり常に連続して音をたたくのではなく、音と音の間に間隔をあけて、他の人がはいってきやすくして対話や調和を作り出す知識です。
    音楽を作り出すときのこうしたあらゆる普遍的な原則はヒッピーサンダードラマーには存在していませんでした。
    私は、そのころ、サンフランシスコで、特定文化の伝統的なドラムの先生のもとで学んでいました。そのときはアフロキュ-バンのリズムでした。
    それは[特定文化のリズムの普及が]とても初期のころで、我々は、アフロキューバンのリズムやサルサを学んでいました。まだアフリカのジャンベはアメリカでは見いだされてはいませんでした。ましてアシーコなどまだまだの時代です。I love Lucyシリーズの時代です。1967年のサマーオブラブのころです。ですから、そこには大きな空隙のある時代でした。

    そして私自身は60年代の文化と戦っていたのです。特定文化の伝統的なドラミングと決まりのない、かたちにとらわれないスピリットドラミングとの間でもがいていました。
    私には両方ともそれぞれに限界と同時に美しさがあると感じていました。同じコインの両面を見ていたといってもいいかもしれません。伝統的なグループはヒッピーを、ヒッピーは伝統的なグループを批判していましたが。そこで私は自分自身のドラム表現にも特定文化のドラムの先生に学んでいた基本を応用し始めました。
    そのころになるとついに、特定文化のドラミングで訓練を積み、ある程度たたけるドラマーたちが多く生まれてきていました。特定文化のリズムは学ぼうと思えば一生学び続けることもできるぐらい奥深い世界です。
    でもドラムという楽器に対して、十分に技術が洗練してきて、自分でも自信をもつようになり5、6種類の音の高さの使い分けができるようになると、自分のリズム的なスピリットを表現をしたくなるのです。自然に自分の中のものが外に出てきてしまう段階に達するのです。外からとりこむばかりでなく。外から取り込むとは、自分の学んでいる文化に特定のリズムのことです。

    さて、特定リズムを学んで、自信をもったドラマーで、ヒッピーサンダードラムにも参加し、そこでどのようにドラムでお互いに演奏しあい、音楽をつくり、対話を作り出すために、音と音の間に間をおくかという何世代にも受け継がれてきた伝統的なドラムの智慧を応用できる人たちが少なからず現れたのです。
    私たちはみな特定のパートを学び、いろいろな音の高さや音色やハーモニーのある美しいリズムをつくりだすのに、そのすべてのパートがまるでパズルのようにお互いにフィットする、複雑な一枚の織物を織りあげることを学んでいるところでした。
    私たちは、リードプレイヤーになる以外にもお互いにリズムで対話するように教えられたのです。そして伝統的なサークル内ではある伝統的な形式的なやり方に従って、自分のドラムで語ること場が許されています。
    ですから、我々はいっしょに集まってすわり、なんらかの文化の基本的な土台となるシンプルなリズムから始めて、リズムを探求していきました。
    そのリズムを土台、つまりプラットフォームにして、こうしたやり方のリズムに近づく何かもっと他の方法を模索していったのです。そして私はそうした体験をもっと多くの人と共有したくなったのです。
    当時ドラミングのそうした側面を理解していた人はあまり多くはいませんでした。ドラマーたちは、ヒッピーサンダードラマーか、特定文化の伝統的なドラマーかのいずれかであったので、私は結局軍隊にはいり、お金をもらってドラムをたたく地位におちつきました。
    私は、余分なドラムを公園に持ち込んではまわりにいる人たちをドラムクラスというかたちではなく、いっしょにたたくように誘いました。また他でドラムクラスも教え始めていたのですが、そこでも[ドラムサークルを]ドラムジャムと呼んで、クラスはドラムジャムで始めることにしていました。
    ドラムジャムでは、自分が知っているリズムをたたくことは許されず、お互いに叩き合うことだけが許されていました。
    最初はこれはただのウォーミングアップのような時間でした。なんのストレスも感じずにただ叩くことから始めなさい、といったような。
    それから、いつもの特定のリズムの時間になり、新しい難しいリズムに取り組み、多くの生徒は学生の危機モード[訳者注:学校で生徒が先生から教わることについていけずにストレス状態になること。アーサーの造語]におちいり、すべてがきちんと組み込まれるようなリズムを必死で学び、すべてが完全にきちんとたたかれているようにして...そういう環境では、ひとつのやり方だけが正しく、その他のやり方は間違いなのです。そしてクラスでの学びが終わると、ストレスを開放するためにもう一度ジャムをやりました。
    で、私は、自分が教えている伝統的なリズムの時間よりもジャムの時間のほうがずっと好きだったのです。生徒たちもジャムの時間が大好きでした。なんのプレッシャーも感じなくていいし、間違いはありえないし、やっているのは、お互いにたたきあって、お互いに聞き合っているだけだからです。私はとてもそのやり方が楽しかったのです。

    そこで私は、ドラマーではない友達とも同じやり方でドラムを楽しみ始めました。
    学校にもそのやり方をもちこんで、子供たちとのプログラムをやりました。
    そして、西海岸で最初のファシリテーションのあるドラムサークルを始めたのです。
    実際には私が一番最初にファシリテーションをやったのは、ヒッピーサンダードラムの時代で、あまりに美しいリズムでそれが崩れるのがしのびなくて介入したのが始まりでした。そのエピソードは私の新しい本に書いてあります。

    サンタクルーズに移ってからは、定期的にドラムサークルをやるようになり、サンタクルーズの海岸でコミュニティードラムをやりました。サンタクルーズでは25年ほどやっています。
    そしてついに、UCSC(カリフォルニア大学サンタクルーズ校)でドラムを教えることになり、この16年間の間に、7000人ほどの生徒を教えました。
    また、大学以外でもサンタクルーズの中心街でほぼ同じ人数の人たちを教えました。つまりウィークデイは大学で教え、週末にはサンタクルーズの町中で教えていたのです。
    そして、それが出発点となり、企業を対象としたドラミングや子供のためのドラミングや、個人的な成長のためのドラミング、会議でのドラミングなどにまで広がっていきました。
    様々な場所を旅するようになって、各地で同じように実験的なファシリテーションのあるドラムサークルをしている人たちに出会いました。
    そこで、情報を交換し合い、ネットワークを作り、ファシリテーションのあるドラムサークルに魅せられた人々とも出会うような機会も増え、そういう人たちを指導することも始めました。ドラムサークルをいろいろな都市でも行うようになりました。

    H:アーサーさんのファシリテーションの特別なところ、他のファシリテーションとの大きな違いを教えてください。

    A: 私のファシリテーションはアーサーハル式ファシリテーションとよばれていますが、私は、ドラムサークルでつくられている音楽に、そしてそれを作り出している人たちに奉仕するようにファシリテーションします。
    参加者に何かをしろと命令するのではなく、音楽をコントロールもせず、今起こりつつあることに耳をかたむけ、全くの初心者であっても、ほんの少しの助けがあれば到達できる、魔法の場へと参加者を導くお手伝いをするのです。それをアーサーハル式ファシリテーションと言っています。
    私自身が多くのファシリテーターを教えてきましたが、実際は遠くに住んでいる人でサークルの中心にずっと立たずに、本当に音楽的に助けが必要なときだけ介入する私と同じようなファシリテーションをするファシリテーターがいることもわかってきました。それが大きな私のファシリテーション哲学であり、私がファシリテーメント[訳者注:facilitationとentertainmentを合わせたアーサーの造語]呼ぶたぐいのものとのファシリテーションのちがいです。
    ファシリテーメントは自分の知識やドラムの技術、パーフォーマンスの技術を用いてグループの参加者を楽しませるやりかたです。
    これはひとつの見せ物(ショー)になっていますが、そこには、相手をコントロールする要素が多く含まれています。
    その対極にあるのが、ドラムの技術やドラムの指導者としての知識を用いるのですが参加者に、相手をコントロールすることなく、自分の知識を伝えていく方法です。
    もしそれをうまくやれば、参加者はあなたが教えているということに気づかずに自分たちで互いに演奏し合うことを学びます。そこでは、あなたはそこで作られる音楽に完全に奉仕しているのです。

    <2006年のファシリテーションツアー>

    H: 今回のファシリテーションツアーについて、お話し願えますか。

    A: 9月に始まった、このツアーですが、英国に始まり、スカンジナビア諸国、ドイツで行い、その後、ファシリテーションのワークショプではなく、ドラムサークルをインドでやってから、日本に来ました。インドでも来年はプレイショップをやりますが、障害者を対象としたNGOの人たちを指導する予定です。日本では3回目のプレイショップ[訳者注:ファシリテーター養成のための、数日間をとおして行われるワークショップ。]です。このあと、香港、台北、シンガポール、マレーシアと回ります。11月半ばにはアメリカに戻ります。その後オーストラリアにいくかもしれません。

    H:アジアでのプレイショップの開催は最近のことだと思いますが、ヨーロッパやアメリカで経験されていることと違いを感じられますか。

    A: いいえ。文化はとても違います。でもいったん、日本でできあがっている文化の壁をとりのぞき、参加者がみな安心して自分を表現する環境を確保してしまえば、できあがってくる音楽は同じです。他の場所と同じように美しい音楽ができあがります。それに日本独特の味を加えたものができあがります。ちょうどヨーロッパのドラミングでもドイツとイギリスでは違いがあるように、アメリカのドラミングともちがうように。違いはささいなものです。私たちは、一つの心と、二本の手があることは共通しています。

    H:日本人のプレイショップ参加者に対して特に、気を使っている点はありますか。

    A: 恐れを感じずに、一歩踏み出して、自分になるという勇気をもってもらうこと。
    おそらく日本のような社会では、独立して群れから目立つことをする、人と少し違ってみえる行動をとるとには、勇気がいると思います。
    日本の若い女性たちは、それぞれ、とても違って見えもしますが、同時に同じにも見えるんです。短いパンツをはいたり、ブーツをはいたり、ちがう服装をしてみな個性的なのですが、並んでみると、みな「同じ」違いなのです。とてもおもしろいですね。
    日本ではある種のスタイルがあります。「私は、あるレベル(水準)に達している。」というスタイルです。
    男性であれば、黒っぽいスーツを着て、たいては、他の文化を見本にしています。違っていながらみな同じに見えるのです。
    それがドラムサークルのファシリテーションでは、驚くべき個性があらわになります。サークルの真ん中にきて、自分自身になるのです。
    彼らは、[ファシリテーションすることで]日本に浸透している文化や社会的な儀式や規制によって作られた社会の規範から抜け出すのですね。
    日本人であるためには一定のやり方がありますね。ほとんどそれは、方程式のような、社会化するしきたりのようなもので、世界と日本がむきあうときに機能します。つまり、とても日本的です。「[日本的なものは]外人には完全には理解できっこない」という態度です。
    このしきたりが、あなた方の文化には深く根をおろし、そうやってあなた方は育ち、お互い同士が反応しているのです。
    そうしたものの一部が、日本人個人の中にある個性をおさえこんでしまうのです。個人になることは、[日本では]よくないことなのです。そういうやりかたで日本社会は機能しているのですから。たくさんの人間が狭い島に住んで、調和しながら、いっしょに仕事して同じ空間を分け合わなくてはいけないのですから、そうなってしまうのでしょう。
    でもだれしも、人とちがって社会的な制約や判断のはたらかないところで、自身の内面を表現したいとどこかで思っているのです。
    ドラムサークルのファシリテーターになることは人のその部分に働きかけるので、個人が現れるんです。というのも、ファシリテーターは個性的でなくてはやっていられませんから。ファシリテーターはプレセンテーションのスキルも、集団から目立つことも必要です、それでいて、人とよい関係をもつ必要もあります。すごくいい質問ですね。

    H: 集団意識というのはドラムサークルの中ではうまく機能するとおもいませんか。

    A: [私がドラムサークルで言っている]は、社会的しきたりとは全くちがうものです。ドラムサークルで集団意識は実に驚くべき力を発揮します。
    たくさんの人がドラムサークルにやってきますが、お互いのことをその時点では全く知らないわけです。
    その人たちは、最初は一人一人の個人としてドラムサークルを始めるのですが、意識的に、またあるときは無意識に音楽をいっしょに作るうちにある種の集団としての感性や性格が音楽から立ち現れてくるのです。
    その集団意識がごく自然につくられ、ファシリテーターはそれに気づき、それが起こるように援助するのです。それがそのグループがどこまでいけるかの目安なのです。
    お互いに本当に同調し合っているわけでも、その集団がミュージシャンでもなく、またその集団がグループドラミングのやりかたに精通していない場合はこれに該当します。
    さて、そこまでの意識にいくと、私が、パーカッション・アンサンブル意識と呼ぶところまで、一歩進みだせるのです。日本人に限らず、どのようなドラムサークルでも起こるごく自然な現象です。個人の意識から、集団意識に移行し、そこからパーカッション意識に進めるのです。
    家族むけのいろいろな人が参加するコミュニティードラムサークルでの話です。そこでは、ファシリテーターの助けがいっそう必要です。テーチングウィズアウトテーチング[教えずして教える]やスカルプティング[ドラムサークルの中の特定の楽器や参加者をとりあげること]などの手法で、その集団に対してドラムサークルの音楽的な側面を教えていくのです。[ドラムの音の]高さのちがい、音色のちがい、楽器どうしの対話、ハーモニーなどを分かってもらうのです。
    こうした要素はすべて、パーカッションのアンサンブルをやっているひとなら他のプロ演奏家と演奏する際当然意識して利用することなのです。
    私はなにも普通のプロではなく、日頃ドラムを楽しむ人たちを2時間ですごいミュージシャンに仕立て上げようと言っているわけではないのです。参加者にドラムサークルでどんなことができるのかがわかる体験をしてもらうのです。
    さっき言ったような音楽的要素について体験的に学んでもらえれば、ファシリテーターは音楽を作りやすくなります。彼らは自分自身の音楽を、この集団意識を、メロディ―のあるハーモニーとダイナミックスにまで自分たちでファシリテーションできるレベルにまで発展させることができるのです。それができれば、ファシリテーターはオーケストラの指揮者のようなファシリテーションができます。
    そうなれば、このドラムサークルがもつパーカッションアンサンブル意識が静かに、[次の段階である]オーケストレーション意識にまで進化していけるからです。
    その際、使う楽器がほぼウッドブロックやベルやシェイカーだけだったとしても、音楽として十分に成り立っているのです。

    H: 理想的なドラムサークルのやり方はありますか。使う楽器の種類やその配分など..。

    A: ええ、私なりの持論があります。あくまでも私の考え方なので、他のファシリテーターはまた違う考えがあると思います。
    私の理想とするのは次のようなやり方です。使う楽器はドラム半分、パーカション類半分にして、ドラムは、低/中/高の音の高さの異なるものをそれぞれ同じぐらい用意する。そして、パーカッション類もウッド、シェイカー、メタル、と同じ割合にするのです。
    すべての道具を自分でそろえられて、出入りする参加者が自分の楽器をもちこまずに、ドラムサークルで使う楽器をファシリテーターがコントロールできるのであれば、ドラムサークルの間ずっと同じような割合で楽器が保たれるのが理想的です。
    そういうかたちで私は、楽器を配置しますが、同心円状にひろがるドラムサークルの場合であれば、低音のドラムがサークルの中央にくるようにします。
    サークルの物理的な配置に関してのアドバイスとしては、参加者が30人を超える場合はサークルを一重にするなということです。
    参加者がお互いの音を聞き合って、反応し合い、音楽的な対話をつくっていくのには、それ以上の大きなサークルだと難しいのです。
    もし35人の参加者であれば、私ならば、2重のサークルにします。例えば、内側を10?11人ぐらいにして、20数名の残りの参加者でもう一重外側にサークルをつくります。
    10−11人ぐらいの人数のサークルであれば、みながほどよく距離が近くオーケストレーションのオーラをかもしだすことができます。

      H:それでは、アーサーさんのファシリテーションするドラムークルでは、フレームドラムはどんな存在でしょうか。

    A: 50人をちょっと超えるぐらいの規模が大きめのドラムサークルになると、フームドラムの音が繊細なために、音がかき消されてしまうと思います。
    大きな音のドラムサークルの中でフレームドラムを演奏するのは、かなり忍耐が必要です。
    たとえ、演奏するのがかなり楽しめていてい、全体のドラミングの感じがよかったとしてもです。さえぎるような声はあまりまだありませんからね。

    さて、そこで、いいファシリテーターであれば、騒々しいドラムサークルの中で聞かれるフレームドラマーたちやほかの楽器の音をショーケースさせ[特に注目させる]、彼らに焦点をあてるでしょう。たとえば、大きな音の楽器をスカルプトアウトして[選びだして]時々抜けさせたり、すべての楽器の音を小さくして、静かな音の楽器がショーケースできるようにそうした楽器をもっと大きな音でたたくように励ましたりするやり方です。
    私だったら、フレームドラム、トーキングドラム、ドゥンベックなどの小さな音のパーカッションなどをスカルプトアウトして[残し]ジャンベや大きな音のベースドラムなどをすべてとめて、こうした静かな音のドラムの音を聞かせるでしょう。
    というのは、大きな音の人たちは、静かな音に耳は傾けていないし、こうした音が存在していたことすら気づいていなかったはずです。 ですから、美しい驚きとして、こうした音が耳にはいってくるときがあるのです。騒々しいサークルの只中で静かな曲をスカルプト[選んで残す]するだけなんです。
    それから、私は、その[静かな]曲をサポートするように、フレームドラムや他の静かなドラムに合わせて静かにたたくように他のドラムの人たちを誘います。
    すると、そこで魔法が起こる場合があるのです。聞き合うことができればできるほど、楽器どうしの間のかけ合いのなかでより大きな魔法が起こります。

    H: 参加者にフレームドラム特有の音を聞くように誘うわけですね。

    ア: そうです。ま、ファシリテーターとしては、参加者を特定の方向に誘い込むことはできないでしょが、トランジッションポイント[移行ポイント:曲のリズムが崩れ出すポイント。]がきたら、大きなドラムをスカルプトアウトして[選んで]、止めて、ソフトなドラムでそのトランジッションポイントを維持して、そこから新しい曲へと移行させるのです。
    それから、大きな音のドラムには小さな音でもどってもらいます。その、新しい曲をサポートするように。
    そしてついには、他の楽器やフレームドラムを強化しドラムサークルの音の探求の旅をものにすることができるんです。
    でもそれもしばらくの間です。もしあなたがよいファシリテーターで、今あなたがいるグループがお互いをよく聞き合う集団であれば、フレームドラムは声とあわせるといいでしょう。ぜひとも声をいれてください。これが私の考えです。

    <実際のフレームドラムを生かしてドラムサークルの例>

    私はシアトルで行われたワールドパーカッションフェスティバルでのドラムサークルをファシリテーションしました。サークルには約800名の人が参加していました。アメリカ原住民もフレームドラムやグレン・ヴェレズ式のフレームドラムなど、いろいろなフレームドラムをもってきている人が大きなサークルの中で2?30名はいました。
    私は、彼らを特にとらえて、スカルプトしました。シェイカーを2−3人とウッドブロックを二人残してグループ全体をとめました。
    それから、800人の中の25−30人のフレームドラムの演奏者を全体で聞くようにして、この驚くべき美しい曲に、-−−フレームドラムを演奏する本人たちさえ聞いたことがないような曲に---耳をかたむけたのです。
    というのは大きな音のジャンベをみんなでたたいているときは、他のフレームドラムの曲は聞こえないのです。
    あまりに美しい曲だったので、私はドラムよりも声を使ってそのフレームドラムの美しい曲にあわせてハミングやチャントで参加するようにグループを励ましました。そこから、美しい曲ができあがりました。
    その曲で使われたのはフレームドラムだけで、他の人たちは、声で参加したのです。素晴らしいものでした。力強いアフリカンスタイルの自由にたたきあう、ドラムサークルのただ中で、それは、まさに優雅で美しい音色でした。
    少しばかり曲げたりひねったりの操作をしただけで私たちは、角をまがって、800人のドラマーとして、自分たちの中にこの新しい美しい曲を発見したのです。
    こんなふうにフレームドラムの存在を認めてショーケースして、他のドラマーたちには美しい声の曲で参加してもらうのは、とても楽しいことでした。
    そして最後には、わたしたちはいつものとおりのグルーヴィーな大音量の歓喜にもどっていきました。

    H:フレームドラムの可能性についてはどうお考えですか。

    A:男女とも素晴らしいフレームドラマーがいますが、フレームドラムには、あり種のやさしい繊細さ、官能的なところがありますね。私にとっては、フレームドラムには自分の中の女性的な部分をくすぐられます。
    大勢の女性のジャンベプレイヤーがいっしょに叩き合うのもそれはそれでいいものです。とてもパワフルな経験です。
    でも女性がグループで集まってフレームドラムをたたけば、その音楽には、ができるのです。
    そこでは、自分が叩くよりももっとお互いを聞き合おうとする感じがうまれ、相互のかけ合いの中に、優美さが生まれます。
    私は幸運にもほとんどの参加者が女性で、それもそのほとんどがフレームドラムを叩いているドラムサークルに参加する機会がありました。
    参加者がみな女性で、フレームドラムだけを演奏する場面も経験しました。
    2−3の女性ばかりの企業グループでファシリテーションするように依頼をうけたときでした。私はいつもの楽器をくばりました。それは、素晴らしいドラムサークルになりました。
    それを体験した一つ以上の企業とわたしはさらに契約をむすび、全州で行われる地域会議のうち6つの会議でドラムサークルを行いファシリテーションをしました。
    私と契約を結んだふたりの女性は、その全部に出席していましたが各地域会議はみな異なる女性で構成されるドラムサークルでした
    。 それはもう素晴らしかった。私は、稼ぐためにその仕事をしたわけではなく、いつもの企業のイベントとはちがう、すべて女性だけで構成されるビジネスイベントをいつもの楽器をつかってやってみる経験を得るためでした。
    そこから生まれた曲はとても素晴らしく、おそらく男性だけがやったらけしてできないような曲だったのです。多分できるはずだと思いたいでしょうが。
    いっしょに音を作り出す、ドラムサークルにおいて繊細さを創造するという女性が本来もっている性質が生かされていました。とても特別なドラムサークルで、私はそうした場面に幸運にも何回か居合わせることができたのです。
    男性たちもときに集まって、男性のエンパワーメントのために、ドラムを叩き合うことが必要ですね。そして女性は女性で女性のエンパワーメントのために集まることが必要です。両方の面がとても重要です。これは相手を排除するためではなく、ジェンダーのエンパワーメントのためです。そうしてこそ、男性も女性もいっしょに集まった際とことん音楽を楽しむことができます。

      H:そして男性ももっとフレームドラムを楽しむことができますね。なにか繊細な感覚を得るために、相手とかけあう間をおいて聞き合う叩き方を知るために。

    A: そのとおりです。男性がドラムの繊細な感覚を得ようと、どんどん、フレームドラムにうつってきていると思います。
    ゴルフのクラブのかわりに手でドラムをたたくようになったとかいう程度の話ではなく、今までになく、フレームドラム選んで演奏するようになってきていますね。
    女性たちは、すでにそういった運動を長いことやってきました。これは確かに女性運動のたまものです。ですからそこには、ある種のフェミニズムの感覚があります。女性性ではなく、フェミニズムの感覚です。そしてフレームドラムのドラミンググループを例示できるような、フェミニズムの特定の原則があるのです。

      H:とすれば、日本でフレームドラムが発展する余地は十分あるとお考えですね。

    A: その可能性はあります。現在起こっている日本におけるフレームドラムの発展の可能性は、他のどのドラムよりも強いと思います。
    サンバ、アフリカンドラムなどの大きくて騒々しいドラムはみな知っています。でもフレームドラムはそんなに大きな音でもなく、創造しくもなく、それでいてとても魅力的です。
    人の本性があらわになり、そこで、人は回復し、発見することにつながるのです。

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